食に関するキーワードを五十音順を手掛かりに、3人がリレー形式で綴るページ本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本

2009年09月09日

こ:コロッケ

Image912.jpgいい響きですねぇ、「コロッケ」。

あなたが思い浮かぶコロッケは、ポテトコロッケ?クリームコロッケ?はたまた精肉店のコロッケ?洋食屋さんのコロッケ?お母さんのコロッケ?

形は違えど、老若男女に愛される国民食ですね。

私の場合は、子供の頃、母に付いて行った買い物先の市場のお肉屋さんのポテトコロッケ。
店先に、フライヤーが置いてあって、「コロッケ姉ちゃん黒ハート」と私が勝手に名付けたお店の娘さんが、注文の度に揚げてくれました。まさに市場のアイドル!
時々パートのおばちゃんが揚げてる時は、ガッカリしたりして…失恋

一個40円だったかなぁ、熱々を藁半紙で巻いて渡してくれる。
ラードで揚げた香ばしくて甘い香りと包み紙の匂いがノスタルジックで。

Image906.jpg ちなみに持ち帰りの時は、経木の舟に並べて藁半紙と輪ゴムでした。
冷めたものは、紙と木が油を吸って、ペチャッと縮んで、衣と具の間にわずかに隙間が出来るんですよね。私は何故かこれが好きで、晩御飯の前によくつまみ食いして怒られましたちっ(怒った顔)

家ではほとんどおばあちゃんの味で育ったので、コロッケやハンバーグには飢えてましたからね。
そりゃ嬉しかったです。

それからも、私の心のコロッケは、「お肉屋さんのコロッケ」なんです。

幼少期、自家製コロッケに憧れた時もありますが、大人になった今、店のまかない料理で作ったコロッケを2個以上食べると、何故か胸やけになるんです。変でしょ?サラダ油なのにたらーっ(汗)


続きを読む


posted by 上野直哉 at 06:39| か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

け:計量スプーン

「計量スプーン」

 直ちゃんがさじ加減で投げかけてくださったテーマ。
絶妙な「さじ加減」は私もさじどころかおたまを投げたくなるほどです!
 家庭料理では塩小1/2を小1入れたところで、それがどうしたと開き直りたくなるほどたいした事ではなかったりするのは、「ママこの味前作ったときよりちょっと塩からいよ。」「ごめんお塩入れすぎたからハハハ〜。」なんていうあったかい食卓の会話があれば(えっ、この頃はないの?)少しぐらいまずくてもすべては帳消しになったりするわけです。 
 しかし、これがひとたびプロとしての看板をかかげた以上はそうはいきませんよね。
 料理教室を始めてかれこれ10年近くになりますが、当初生徒さんの計量スプーンが料理のすべてという感覚には驚かされました。
 計量スプーンでレシピどうりきっちり調味料を計って入れるというのは、レッスンとしては当然ですが、「計る」ことに1分もかかっていれば鍋やフライパンの料理は・・・!?
 それより大体ささっと味を入れて早く仕上げることの方が良いという事を分かってもらえるのは、なかなか説得力のいるものです。
 はじめは計量スプーンを色々取り揃えていましたが(これまたデザインが色々あるんです!)、この頃は「このおしょうゆさしから鍋に入れるとしたら大体1まわしで大さじ1杯くらいかな、こんな感じ」なんてやってみる方が生徒さんも「面倒くさくなくていい!」なんて言ってくれるようになりました。そう、五感をみがくテクニックその1ですよね。
 料理研究家という仕事は、自分の提案するものを人に伝える作業を雑誌などに求められるので、皆さんとっくにご存知の様に根っからのアバウト人間の私にとっては、レシピの分量表記は頭の痛い作業です
が、「信頼」して頂けるレシピが作れるようになることを目標にがんばっています。
 直ちゃんのような繊細な料理と日々向き合っている料理人の苦労は、計り知れないものがあると思いますが、料理の摩訶不思議なところは、「もうだめ、倒れる!」と思うほど消耗しているときにパパっと作った料理が、絶妙なさじ加減だったり、「今日はがんばるぞ」と体調万全で意気込んで取り組んだ料理の味がどうしても決まらなかったり・・・、こんな経験ありますよね。
 苦しいことと楽しいことが毎日色んなかたちで押し寄せる、食の仕事」ってホント奥が深いですね!


次項有上野 「醤油さしからの一まわしで大さじ一杯」というのはいいですねひらめき感覚を身につけるのはとても大事ですからね。
「今日はちょっと鹹い」とか「薄い」とかいいながら、体で覚えていくのもいいものです。
そういえば、大阪キタのある讃岐うどんのお店で、「生醤油うどん」を食べたとき、大将が「醤油は2回し半ねっ!」っておっしゃってましたが、これがバッチリに決まるのが不思議だったなぁ〜目
posted by 山本佳永 at 23:20| か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

く:クジラ

クジラ

 私の世代のもう少し前の年代の方はよく、「給食のときにクジラ肉がよくでてきた」とおっしゃいます。我々世代でもたまに出ることはあったのかも知れませんが、もはやポピュラーな食材とは言えず、クジラ肉にいたっては幼い時一度か二度食卓に上がったのを覚えている程度で、その口に含んだときの臭いの記憶が今でも苦手としてインプットされています。けれど、パーツパーツで風味を変えるクジラ・・・赤身のお肉は苦手だけれど、オバケは酢味噌で頂くのが好き!と好き嫌いがはっきり私の中では分かれました。
 ハリハリ鍋というと「水菜とおあげさん」がずーっと定番と思っておりましたが、そもそもクジラのお鍋なんだ・・・と認識したのは学生時代の通学途中で目にする阪急電車の車窓から見える徳屋さんの広告塔。その後しっかりクジラとわかった上で(笑)いただく機会を得ましたが、そのときのお鍋の美味しかったこと(^‐^)v。特にお雑炊がたまらなく美味で、頂いたときの情景が味と共に今でもはっきり思い起こされます♪(^−^)♪。


次項有上野 鍋物をあまりしなかった家でしたが、冬のハリハリ鍋は定番でした。
おばあちゃんが近所の食料品店で筋だらけの赤身の塊と、今はあまり見かけなくなった大玉の水菜を買うのですが、1玉で2〜3回分あり、ハリハリ鍋が嫌いというより3日続くのが嫌だった思い出が・・・もうやだ〜(悲しい顔)
でも限りなく出てくるアクを掬いながら、粉山椒を振って食べるとやっぱり美味しいんですハートたち(複数ハート)
私は、これがきっかけで、子供のくせに山椒ヘビーユーザーでしたたらーっ(汗)


山本 私の出番でしょうか?またまた50年前(もうええわ?)小学校の給食にはくじらのカツがよく出ました。何だか分からず、ワーイと食べていましたよ?!
給食できらいなものなんか何一つなくて、脱脂粉乳のミルクさえ、ごくごく飲む私でしたが、大好物のアジのフライの次に好きだったのが、何かよく分からないゲイカツです。甘口ソースとキャベツの千切りも美味でした。 
posted by 土井茂桂子 at 19:29| か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

き:季節感

 四季のうつろいに特別な情感を持つのは、古来より日本人の体内のDNAのせいでしょうかかわいい
二十四節気、三見五節句など、自然の営みと、人の営みを「時」で結び付けるという風習も、日本人独特の季節感や宗教感を生んだと言えそうです。

 桜の時季に心躍り、空の高さを見て秋を感じる。・・・・
 その時季の気象・環境の変化、空気感、匂いなど、毎日の移り変わりを赤ん坊の頃から肌に感じて、しっかりと心に刻み込むからこそ、毎年やってくる四季を経験知で感じ取れるのでしょう。

 よく日本料理は、「目で味わう。」とか、「季節感が大事。」と云われます。
 皿の上にのる料理でけではなく、食器から店の設えまでも季節感が求められ、お客様はそのすべてを味わいにいらっしゃいます。
 しかもその季節感は、現状より少し早め、半歩先取りが尊ばれます。

 もちろん料理全てがそういう訳ではありませんが、当日使用する食材に、何品かスポットぴかぴか(新しい)でそういうものが入っていることで、特に季節感が引き立ちます。
 「そうかぁ、もう土筆の時季なんだね〜」と感慨深くなったりして。
 もうすぐやってくる春や秋を待ち焦がれているからでしょうか、先走りもせず、イメージのし易い半歩先が丁度“粋”でいい感じがします。

 こういう「半歩先取り精神くつ(?)」は、茶道のお道具立てなども同様です。というよりも、茶懐石経由で日本料理全体にもたらされたものなのかもしれません。 
続きを読む
posted by 上野直哉 at 00:06| か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

か:釜めし

「釜めし」

直ちゃんが学生時代鉄道おたく?失礼!マニアだったなんていう意外な話も飛び出すのがブログの楽しさです。
 実は私も・・・なんて秘密がこれからポンポン出てきそうでちょっとドキドキしますよネ!!
 その直ちゃんの告白(?)があった駅弁のブログの中に、横川の峠の釜めしが登場しましたが、この駅弁は実は私にとってもとても思い出深いものなんです。
 小学生の頃父の転勤で東京に住んでいたのですが、父の勤務先の保養所が軽井沢にあって、夏休みの度に連れて行ってもらっていました。
 今から50年も前の古き良き軽井沢の話はまたいつかするとして、横川の峠の釜めしはお約束という感じで必ず食べさせてもらっていた懐かしい駅弁です。
 小さなお釜に味付けしたごはんと、色々なトッピング、当時の私にはもちろん最高のごちそうで、お釜も捨てて帰るなんて発想は誰にも無かったように思います。東京ではどこの家の台所にも峠の釜めしのお釜が一つや二つ転がっていたと記憶しています。
 その後の度重なる引越しで「もう捨てようよ」という私に母は「ひとリ分のごはん炊くのに丁度いいのよ。」と新聞紙に包んで荷物に詰めていたのを思い出します。
 その母は今86歳、数年前から認知症を発症して施設で暮らしています。今では娘の私の顔も認識できません。
 それまで母が一人で暮らしていたマンションももう戻ることはないと判断して少しずつ荷物を整理しはじめた頃、キッチンの下のひらきの隅から峠の釜めしの小さなお釜が出てきました。
 「まだこんなもの持ってたんだ。」と思ったとたん涙があふれて止まらなかったことを思い出します。
 小さなお釜に年老いてからの母の孤独な食卓を教えられ、もっと母とたくさんの時間を共有できなかったのかと悔やみました。
 人生は時として思いがけない形でヒトやモノが思いがけないことを気づかせてくれるものなのですネ。 
 数え切れない旅の思い出の中に登場する駅弁は、きっと数え切れない涙や、笑いがつまった素晴らしい日本の食文化の一つなのだと思いました。遠い日の峠の釜めしの記憶をふと誰かに話してみたくなる秋の夜です。


次項有上野 山本先生のお母さまへの愛があふれるお話でした。
50年前の軽井沢。やはり「食」というものは、ごく日常の記憶を呼び覚ますきっかけになることが多いですね。しみじみとしました。

次項有次項有Sかわいいドイ しみじみ・・・同感です。
posted by 山本佳永 at 23:54| か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。